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名古屋高等裁判所 昭和55年(ネ)109号 判決

控訴人

倉知喜市郎

右訴訟代理人

成田薫

成田清

右両名訴訟復代理人

斉藤桂子

被控訴人

亀谷冨貴江

被控訴人

小谷花代

被控訴人

亀谷巌

右三名訴訟代理人

小渕連

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  原判決主文第一項中控訴人に関する部分は、訴の一部取下により、次のとおり変更された。控訴人は被控訴人らに対し、

原判決別紙目録一、二、一一、一三の各土地につき名古屋法務局小牧出張所昭和四二年四月二五日受付第五六二八号をもつてなされている所有権移転登記、

同目録三、四、七、九の各土地につき同出張所昭和四三年六月六日受付第八五四〇号をもつてなされている所有権移転登記、

同目録一ないし四、七、九、一一、一三の各土地につき同出張所昭和三五年八月一八日受付第四一二四号をもつてなされている所有権移転請求権保全仮登記、

同目録一の土地につき同出張所昭和三六年一二月一八日受付第一二三八九号をもつてなされている二番仮登記の所有権移転請求権移転付記登記及び同出張所昭和四二年一月一一日受付第一六三号をもつてなされている二番所有権移転請求権の移転付記登記、

同目録二、一一、一三の各土地につき同出張所昭和四一年一二月二六日受付第一四二五二号をもつてなされている二番所有権移転請求権の移転付記登記、

同目録三、七の各土地につき同出張所昭和三六年一二月一日受付第一一四八二号をもつてなされている二番仮登記の所有権移転請求権移転付記登記、同出張所昭和四三年二月五日受付第一五〇〇号をもつてなされた二番仮登記名義人表示変更付記登記及び同出張所同日受付第一五〇一号をもつてなされている二番所有権移転請求権の移転付記登記、

同目録四、九の各土地につき同出張所昭和三六年一二月一八日受付第一二三九〇号をもつてなされている二番仮登記の所有権移転請求権移転付記登記及び同出張所昭和四二年九月七日受付第一二五二八号をもつてなされている二番所有権移転請求権の移転付記登記

の各抹消登記手続をせよ。

3  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一1  本件土地がもと峰の所有であつたこと、右土地につき主文第二項掲記の各登記がなされていること、及び峰が昭和四八年六月一八日死亡したことは当事者間に争いがない。

2  そして、〈証拠〉によると、峰の相続人は同人ととくとの間に出生した二女被控訴人冨貴江、三女被控訴人花代及び二男被控訴人巌の三名のみであり、長男及び長女はいずれも幼時にすでに死亡していることが認められ、右認定に反する証拠はない。

二控訴人の抗弁1ないし3について

1  〈証拠〉によると、峰は昭和二七年一一月二六日から昭和二八年四月一三日まで及び同年九月二日から昭和四八年六月一八日まで、主として火を弄ぶことが原因で愛知県立城山病院に精神衛生法二九条の規定により措置入院をし、精神分裂病であるとの診断を受けていたところ、同年五月頃から内科の病気を併発し、他の病院へ転院をする手続中に、同年六月一八日死亡したこと、峰への面会は看護婦である二女被控訴人冨貴江が時々行く程度であつたが、その際は必ず医師の立会いの下に面会していたこと、一方妻のとくは健康な時でさえほとんど面会に行かず、殊に昭和三五年頃以降高血圧症に悩まされるようになつてからは、全く病院を訪れなくなり、病院から手紙が来ると、とくや被控訴人巌が下着類とか日用品などを郵送するにすぎなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  控訴人は、昭和三五年七月頃峰が非農地である本件分筆前の土地をとくを使者として野崎峯男に対し売り渡した、仮にとくが使者でなかつたとしても、峰から代理権の授与を受けたとくが峰の代理人として売り渡した旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、峰は当時精神分裂病のため愛知県立城山病院に入院中であつたから、意思能力を有していなかつたとの事実上の推定を受けるものというべく、右推定に反し、その頃峰が意思能力を有し、かつ、峰を病院に尋ねたとくが峰から売買の指示を受けたり、そのため代理権の授与を受けた事実を直接に認めさせる証拠は、何も存在しない。

もつとも、乙イ第四号証は峰名義の発信にかかる葉書であり、乙イ第六号証によると峰の記名押印のある不動産売渡証書が存在するが、〈証拠〉によると、右葉書は控訴人がとくの依頼に基づき代筆したものであり、また右不動産売渡証書もとくの意思により峰名義の記名押印が作出されたことが認められるだけであつて、右各書証をもつてしても、控訴人の前記主張事実を認定しうる証拠とはならない。

したがつて、峰と野崎との間に有効な売買契約が存在したとの控訴人の前記主張は、これを採用することができない。

3  次に控訴人は、仮に一ないし一三の各土地が農地であつたとしても、控訴人はそれぞれの仮登記権利者から買主たる地位の譲渡を受けた上、昭和四十二、三年頃農地法三条による知事の許可を得たから、右許可の日に右各土地の所有権が控訴人に移転した旨主張する。

しかしながら、前示のとおり、峰と野崎との間における本件分筆前の土地の売買契約が有効に成立していないのであるから、これが有効に成立していることを前提とする控訴人の右主張も採用できない。

三控訴人の抗弁4について

控訴人は、仮に峰がとくに代理権を授与していなかつたとしても、とくは本件分筆前の土地を民法七六一条の代理権に基づき野崎に対し売り渡した旨主張する。

しかしながら、峰が昭和二八年以降精神分裂病のため愛知県立城山病院に入院していたことは前記認定のとおりであり、また、仮にとくが本件売買代金をもつて日常家事のための生活資金に充てたことが事実であるとしても、夫所有の不動産を妻が処分することまで民法七六一条の定める日常家事代理権の範囲内に属しているということはできない。

控訴人の右主張は独自の見解であつて、採用することができない。

四控訴人の抗弁5について

1  〈証拠〉によると、控訴人ととくは、とくの妹が控訴人の父倉知藤重の従兄弟桜井宮一に嫁いでいる関係で遠縁に当たり住所も五〇〇メートル位しか離れていなかつたこと、とくは昭和三八年八月頃藤重が交通事故に遭うまで家庭内の問題等につき度々相談にきており、昭和三五年初頃には本件分筆前の土地を含む二反の畑を買つてくれないかと藤重に話を持ちかけたが、同人は隠居の身であり、控訴人にも耕作する余裕がなかつたので、控訴人は右話を断つたこと、当時控訴人は右土地が峰の所有であるが、同人は精神分裂病のため長期にわたり入院中であることを知つていたこと、結局本件分筆前の土地は中村不動産の仲介で野崎に売却されたが、その際、所有権移転仮登記手続に要する所有者峰名義の委任状及び同人の印鑑証明書が添付されていたこと、仮登記権利者から買主たる地位の譲渡を受けた控訴人が所有権移転登記を受けるに当たり、昭和四三年三月三一日不動産売渡証書(その一つが乙イ第六号証)が作成されているが、そこに記載されている売渡人亀谷峰の記名はとくの委任に基づき司法書士が記載したものであり、その名下の印はとくが押捺したものであること、以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

右認定事実によると、とくは峰の代理人として本件分筆前の土地の売買に関与したものと認めるのが相当である。

〈証拠〉によると、土地売渡書及び領収書と題する書面にとく自身の記名押印のある文書が存在するが、前記認定事実に照らすと、右各書証をもつてしても、とくが峰の代理人として行動したとの右認定判断を覆すことはできない。

2  本件分筆前の土地の売買に関し、とくが峰の代理人であるとしても、その代理権につき立証のないことは前示のとおりであるから、とくは無権代理人であるといわざるを得ないところ、とくが昭和四四年三月二二日死亡したことは当事者間に争いがなく、峰が昭和四八年六月一八日死亡したことは前示のとおりである。

ところで、無権代理行為がなされた場合に、表見代理が成立しない限り当然には本人に対し何らの効果が及ぶものではないが、本人はその無権代理行為としてなされた契約を追認して代理権があつてなされたと同様の効果を生じさせることができるものとされている(民法一一三条一項)から、本人は当該無権代理行為を追認するか否かの選択権を有しているものということができる。一方、無権代理人は代理権の存在を証明できず、かつ本人の追認も証明できない場合には、相手方の選択に従い履行または損害賠償の責任を負担すべきものとされている(民法一一七条一項)。そして、これらの本人または無権代理人の権利義務が相続の対象となりえないとする根拠は何もないから、結局本人の相続人は無権代理行為を追認するか否かの選択権を、また無権代理人の相続人は履行または損害賠償の義務を相続により承継取得するものというべきである。

これを本件についてみるに、被控訴人らはとくが死亡したことにより本人である峰とともに相続によつてとくの履行または損害賠償の義務を承継し、しかる後峰が死亡したことにより同人から相続によつて本件売買の目的物とともに無権代理行為を追認するか否かの選択権を承継取得したということになる。

ところで、本件において、被控訴人らが本件土地の共有持分権に基づき所有権移転登記の抹消登記手続を訴求したのに対し、控訴人が抗弁5において主張するところは、結局被控訴人らには本人としての無権代理行為の追認拒絶権も、無権代理人の履行義務の拒絶権もともに有しないというところにあると解せられる。

そこで検討するに、そもそも無権代理人が本人を相続した場合に追認を拒絶することが信義則上許されないとされるのは、当該無権代理行為を無権代理人自らがなしたという点に存するというべきところ(最高裁判所昭和三五年(オ)第三号、同三七年四月二〇日第二小法廷判決・民集一六巻四号九五五頁参照)、無権代理行為を自らなしていないという点においては、無権代理人を相続した者が本人であつても、本人以外の相続人であつても異なるところはないから、無権代理人を相続した本人に追認拒絶権を認める以上、無権代理人を相続した後本人を相続した相続人についてのみ追認拒絶権を認めないとする根拠は見出し難いといわなければならない。それ故、相続人が無権代理人を相続した後本人を相続しようとも、また本人を相続した後無権代理人を相続しようとも、いずれの相続人の場合も同列に論ずべきものである。そして、無権代理人及び本人をともに相続した相続人に追認拒絶権を認めるのであれば、少なくとも特定物の給付義務に関しては、無権代理人の履行義務についての拒絶権もこれを認めるべきである。けだし、これを反対に解するとすれば、一方で与えたものを他方で奪う結果となるからである。一方、相手方としても、本人の追認がない以上、無権代理人の相続人が本人を相続したという偶然の事情がなければ、本来特定物の給付を受け得なかつたのであるから、相続人に履行義務の拒絶権を与えたからといつて、不測の不利益を蒙るというわけではない。もつとも、無権代理人の負担した義務が金銭債務の場合には、相続人に履行義務の拒絶権を認めるとしても損害賠償義務が残存することは前示のとおりであり、しかもその義務の内容は履行利益の賠償であると解すべきであるから、履行義務の拒絶権を認める実益に乏しいといわざるを得ない。それ故、金銭債務の場合には、相続人に追認拒絶権も履行義務の拒絶権も認められないと解してよいであろう(最高裁判所昭和四六年(オ)第一三八号、同四八年七月三日第三小法廷判決、・民集二七巻七号七五一頁参照)。これを要するに、無権代理人及び本人をともに相続した相続人は、相続の時期の先後を問わず、特定物の給付義務に関しては、無権代理人を相続した本人の場合と同様に、信義に反すると認められる特別の事情のない限り、無権代理行為を追認するか否かの選択権及び無権代理人の履行義務についての拒絶権を有しているものと解するのが相当である。

したがつて、無権代理人であるとくを相続した後本人である峰を相続した被控訴人らには、およそ無権代理を理由とする追認拒絶権及び無権代理人の履行義務の拒絶権がないという控訴人の主張は、採用できない。

3  前示のとおり、とくは本件分筆前の土地の売買に関し無権代理人であると認定すべきであるが、仮にとくが他人の物の売主として本件分筆前の土地を売却したとしても、右2におけると同趣旨の理由により、被控訴人らは自ら他人の物の売主となつたわけではないから、右土地の権利の移転につき諾否の自由を有し、信義則に反すると認められるような特別の事情のない限り、右売買契約上の売主としての履行義務を拒否することができるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四四年(オ)第二三号、同四九年九月四日大法廷判決・民集二八巻六号一一六九頁参照)。

なお、控訴人が引用する大阪高等裁判所の判決は本件と事案を異にするから、適切な先例とはならないというべきである。

したがつて、他人の物の売主であるとくを相続した後権利者である峰を相続した被控訴人らにおいて、およそ売主たる履行義務を拒否することができないという控訴人の主張も、また採用できない。

五控訴人の抗弁6について

そこで、被控訴人らに追認拒絶権ないし履行拒絶権を行使することが信義に反すると認められる特別の事情があるか否かについて検討することとする。

1  〈証拠〉によると、(1)峰は婿養子であつて、本件分筆前の土地は大正六年一〇月三〇日とくの父棲治から家督相続したものであるが、昭和二八年峰が入院してから昭和三五年一〇月に被控訴人巌が結婚するまでの間、とくが家計を掌握し、峰所有の不動産等の家産を管理してきたこと、(2)本件分筆前の土地を野崎に売却したのはとくのみの意思に基づくものであつて、被控訴人巌はとくと同居していたものの、その相談を受けたことがなかつたこと、(3)被控訴人巌は中学校を卒業した後篠岡農協に勤務しており、昭和三五年二八歳で結婚するに際し多少家屋を改造したが、その費用及び挙式費用は右売買代金の外、被控訴人巌の貯金によつて賄われたこと、(4)昭和四〇年頃小牧市から道路用地の買収代金がとくの農協口座に入金されたが、被控訴人巌は右事実を知つている程度で、仮登記権利者への分配は、とくが控訴人と相談の上実行したこと、(5)被控訴人巌はとくの死亡直後一四の土地の仮登記権利者である戸島重光から昭和四〇年一二月一日より昭和四三年一二月一日までの固定資産税として金三〇〇円を受領したことがあるが、本件土地については、仮登記権利者から固定資産税を取得したことがないし、仮にとくが取得していたとしても、その事実を知らなかつたこと、(6)昭和四三年峰所有の土地を同人に無断でとくが西尾要に売却し、その売買代金を家屋の建替費用に充てたことがあるが、この売買については被控訴人らも承知しているため、何らの紛争も起こつていないこと、(7)被控訴人冨貴江は昭和一〇年以降家を出て看護婦等をしており、また被控訴人花代は昭和二五年一月三一日四日市市在住の眼科医のところに嫁いでいること、以上の事実を認めることができ、右認定に反する原審及び当審における控訴人本人尋問の結果の一部は、前掲各証拠と対比して信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実に前記四1の認定事実をも加えて総合的に判断すると、被控訴人冨貴江及び同花代はもとより同巌も本件分筆前の土地の売買について、とくとともそれに関与したとか、右売買を承諾していたとかの事情を認定するには至らないというべきであり、これに加えて、前記四1において認定した事実によれば、控訴人は本件売買に関し、とくに代理権が存しないことを知つていたというべきであるから、結局、被控訴人らには前記拒絶権の行使が信義に反すると認められる特別の事情があるということができない。

したがって、この点に関する控訴人の抗弁も失当である。

六控訴人の抗弁7について

〈証拠〉によると、長山清晴は非農家であるが、昭和三五年八月中旬頃本件分筆前の土地から分筆された三六六〇番三、畑一反一畝一二歩を同地上に借家を建てるため野崎から買い受けたものの、その占有を取得しないまま右土地を分筆して、丹羽沙恵子、金子新治及び近藤一正の外控訴人に売却したことが認められ、右認定に反する証拠はない。また本件全証拠によるも、丹羽、金子、近藤及び控訴人においても長山から占有の承継を受けた事実を認めることができない。

そうすると、控訴人の取得時効の抗弁は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

七以上の次第で、被控訴人らの控訴人に対する本訴請求は正当としてこれを認容すべきである。

したがつて、右と同旨の原判決は相当である。

よつて、本件控訴を棄却することとし、なお被控訴人らの訴の一部取下により原判決主文第一項が変更されたので、その趣旨を本判決主文第二項で明らかにすることとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(山田義光 井上孝一 喜多村治雄)

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